高級リゾートの象徴ーーーアマンプリ

「アマン」の名前を知ったのは、大前研一氏の本だった。

「リゾートを極めたいという人に一度は泊まってほしいホテル。それが、アジアン・リゾートの歴史を塗り替えたといわれる、タイはプーケット島の『アマンプリ』だ。開業から十八年。旅好きでなくとも、もはやアマンリゾーツの名を耳にしたことがない者はいないのではないかと思うほど、その快進撃には目を瞠るものがある。」(大前研一「旅の極意、人生の極意」)

アマングループのホテルは、今もその名声を保ちながら、バリ島やプーケットで営業している。
正規料金の場合、1部屋1泊で約10万円。

バリ島には五つ星ホテルがたくさんあるが、安いところでは2万円代から泊まれるので、相当な値段の差がある。当然、私は手が届くはずもなく、検討したことすらない。
場所も繁華街から離れたところに位置しているので(だからこそプライペートが維持されるのだろう)、見学に行ったこともない。まさに高嶺の花だ。

私の人生とは全く関係がないアマンだが、山口由美著「アマン伝説」を読むと、その片鱗を知ることができる。アジアのビーチリゾートの歴史について、日本語で読める書物は少ないので、貴重な本だ。

非常に興味深い本だが、私が興味を持ったのは、創業者エイドリアンのホテルに対する考え方だ。
一般的な経営者であれば、アマンのようなホテルを作ろうとは思わないだろう。
もしかしたら、彼のしたことは「経営」ではなかったのかもしれない。そう思うところが何箇所かあった。
それは、自らが望んでホテルビジネスに飛び込んだわけではなかったことに理由があると思う。

「そのマリオットが海外進出、特にアジアへの進出を目論んでいると言うのです。人件費であるとか、アジアの事情を知る人を彼らは探していました。私はホテルの経験はないと言うと、ホテリエであればいくらでも知っている。でも探しているのはアジアの人々について知っている人だと。」
(「アマン伝説 創業者エイドリアン・ゼッカとリゾート革命」)

「私はホスピタリティ産業ではなく、ライフスタイルビジネスをしているのです。」(「アマン伝説」)

彼はもともとライフ誌のジャーナリストだった。
ジャーナリストの目的は、事実を正しく伝えることだが、読者に新たなライフスタイルを提案することも大事な視点だ。そのキャリアが、アジアに革新的なホテルを作ったのだと思う。

「世界には、いつでも、どこへでも行く、そしていくらでも金を払う金持ちがいる。彼らのためのホテルだとね。」(「アマン伝説」)

アマンの革新性は、そのターゲットの設定だったのではないだろうか。
普通に考えれば、マスである中流階級、ちょっとお金を持っていて海外に行ってみようとしている層を対象にするだろう。
しかし、彼はそうせず、富裕層をコアターゲットにした。「量」よりも「質」を重視した。
確かに当時は、LCCがない時代だから、海外に来ているのは、高い航空運賃でも気にしない、お金持ちが多かったはずだ。

そして、彼は富裕層のニーズを的確に把握していた。
毎日多忙な生活を送るビジネスマンがリゾートに求める「癒し」や「最高のサービス」を提供することに力を注いだ。
ホテルで何もしない贅沢な時間を提供することに集中した。
そのために、英語がわかって、気が利くスタッフを大量に、ホテルの各所に配置した。

アジアで一流のサービスを提供できるホテルは貴重だから、宿泊者は口コミで広げる。
当時は、今のようなインターネットがないから、ホテルの良し悪しの情報を得ることは難しい。
上流階級社会での口コミが重要なPR手段だったのだろう。


このようなサービスは、革新的だったと思う。
だが、今はどうか。
「最高」とは言わないまでも、そこまでひどいサービスを提供するホテルは、メジャーなビーチリゾートでは、少なくなった。

かつては、ハイクラスの富裕層しかできなかった海外旅行も、今では、ちょっと頑張れば、手が届くようになった。
ターゲットもホテルのレベルも変わったのだ。
一握りの人だけが楽しめる贅沢感は、一般化し、誰でも楽しめるようになった。

そういう意味では、人気のホテルの変遷は、ビーチリゾートの歴史の変化を体現していると言える。